2014年7月4日金曜日

『かたり、おどり、』企画について

四谷三丁目にある喫茶茶会記で、
『かたり、おどり、』という不定期シリーズ企画をはじめます。

一応「かたり」と「おどり」による「即興企画」としておりますが、
この企画において「かたり」とは、必ずしも演者が物語を語ることや、
何らかのモノローグを指し示す訳ではありません。
また、「即興」という定義もよく分かりませんが、
ともあれ「振付家/演出家による予め作られた作品」ではないということです。

そのような「振付け作品」ではなく、
また「ダンサーとミュージシャンによる即興」とも異なる「踊り」、
といって「朗読に合わせて即興で踊る」という形式に留まらない、
「かたり」が語義通りの意味から離れることを期待し、
それが新しいダンスを誘発することを期待して企画しました。

また期待するのはダンスだけではありません。
ダンスによって誘発された「かたり」と呼ばれる表現/表現者が、
再び何を発するのか…?

とにかく自分が新しい何を期待し、新しい何を見たいのか、
まだ具体的には言葉に出来ませんが、はじめてみます。

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自分は踊らない踊りのファンとして、
彼らの「踊る動機」に興味があります。

「音楽」に目を向ければ、
歴史上、儀式と祭りと社交の場にあって、
ブードゥー教の太鼓叩きも、ヨハン・シュトラウス二世も、
エリントンもベイリーも、808303の使い手も、世界中のDJたちも、
あらゆる音楽家が、音楽が、楽器が、レコードが、
「踊る動機」をダンサーたちに与えて来ました。
巫女舞からワルツからジュークまで「音楽」は「踊り」を導く魔法であって、
「音楽」もまた「踊り」に必要とされることで発展を遂げてきました。
二つの分ちがたく美しい関係がそこには存在しています。
音楽との蜜月は今後も決して変わらないでしょう。

また舞台芸術や様々なエンターテイメントの世界では、
振付家/振付師と呼ばれる多くの才能が、
様々な物語や、グラフィカルな身体的ヴィジョンをもとに、
美しくイマジネーション豊かな振付けをダンサー達に与え、多くの作品を創造して来ました。
もちろん伝統舞踊では特定の個人によらない伝承された振りが存在します。
そのような沢山の素晴らしいダンス公演や音楽家とのコラボレーションを見て来ました。
(いくらつぎ込んだのか分かりません…笑)

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ただ、主流ではないもの、「もう少しだけ違うもの」も見てみたいと思います。

もちろん、演劇、文学、美術、建築、映像、写真とのコラボレートなど、
様々な「動機」を持ったダンスを試みている人達も多く存在してきました。
もちろん日本には暗黒舞踏の歴史が存在します。

「かたり、おどり、」で試みたいと思う「声/言葉」という「踊る動機」もまた、
発話された言葉は音/音楽でもありますし、言葉は作品的な物語や詩的なイメージも紡ぎます。

そうそう簡単に新しいことは起こらないかも知れませんし、
単に「音楽」や「作品/物語」から離れることを目的としている訳ではないですが、
新しい何かに向け、それが生まれるために準備出来ることがあると感じています。

さて、どうなるだろう…?

企画・前澤

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